日本のほぼ中央に位置する信州(長野県)の上田小県地方は大和、奈良時代から政治的
にも戦略的にも重要な土地でした。当然この地方の領主たちは戦力を蓄える必要があり
馬の育成や日頃から武芸の鍛錬が盛んだったと見られています。特に源平,鎌倉時代には
史上に残る流鏑馬の名手が輩出しています。手塚氏、金刺氏、海野氏、等。手塚一族は
木曽義仲の挙兵に従い重要な戦力だったようです。手塚氏の本拠地である信州の鎌倉と
呼ばれている塩田地区の一角に塩野神社があります。ここで流鏑馬の神事が行われ神社
前の道が流鏑馬道と馬場が伝えられており面影が今も残っています。
以来800年の時を経てこの流鏑馬を上田城址で開催する事になりました。
勇壮な人馬一体の姿を目の前、間近で見て当時に思いを馳せたいと思います。
鎌倉時代作と言われている中禅寺観音像台座に描かれた流鏑馬の絵柄
塩野神社に残る流鏑馬道を示す看板
塩野神社参道入口
演武団体「倭式騎馬会」の紹介
昔、武士は誰でも馬に乗り、弓矢を自由に操つる弓馬術を鍛錬していましたが、今日、日本人にとって馬も弓矢も遠い存在になりました。そこで、この日本の伝統である弓馬術を復興し、流派にとらわれずに、もっと身近でできるようにという考えから倭式騎馬會を発足しました。
倭式騎馬會では、騎馬術や弓馬技術の習得、馬に接する(性格、習慣等を学ぶ)こと、流鏑馬行事について理解すること、そして流鏑馬の演武を催行することを目的として活動しています。当会では弓馬術を騎射術と呼び、騎射術は騎馬術の延長にある武術だと考えてます。
又、様々な流派の弓馬術やその歴史の研究や騎馬に必要な諸道具の探索、収集、製作に努めています。そして、木曽義仲の愛馬として知られる木曽馬や義経が東北の藤原氏にあずけられた頃に乗りこなしたと云う南部馬の血を引く道産馬などの和種馬(当会では「和駒」と呼んでいます)の中から、昔の武心を持った日本之馬を見つけ出して軍馬としての調教を施し、その和駒に乗り流鏑馬や馬上武芸を行うことによって、この活動を広めて絶滅種でもある日本古来の馬の復興を目指しています。
下記ホームページをご覧下さい。
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